小鞠がいない世界

にゃんこ部, 日常

5月22日22:13、愛猫の小鞠が虹の橋を渡っていきました。
享年18歳1か月…人間でいえば88歳、猫の平均寿命が15歳なので、大往生と言えるかもしれません。

1年くらい前より腎臓の数値が高くなってきたのでお薬を飲むようになり、もともと体重が少なく、先生には「もっと太らせるように」とは言われていたけど、なかなかそれが難しく…
晩年は1,5㎏くらいしかなく、ちょっと食べなくなっただけで命が危うい状況でしたが、最後まで目をギラギラさせて食欲旺盛だったのは、本当に私にとって救いでした。

5月初めの写真。
私の夕ご飯のサバ味噌の味が染みていないところを夢中で食べていました。
この顔が小鞠らしく、遺影にしました。

3月末から外出自粛が始まり、勤める会社でも4月上旬からリモートワークが始まってひと月半。
通常ならば、平日は出勤、休日もイベントやらで出かけることが多かったけど、この状況下で家で引きこもり、必然的に猫との時間も増え、小鞠とも過去にないくらいずっと一緒に過ごすことが出来たのは、私にとっては幸いでした。

小鞠は仔猫の時からちょっとクセのある、いわゆる「めんどくさい子」で…
頑固で、しつこく、我の強い「雌猫らしい猫」。
その性格もあって、結構イライラすることも多く、時につらく当たってしまうときもありました。
それでも、18年も私の傍にいてた、とても優しい、可愛い子。

日向ぼっこをしている小鞠。
キョウダイの小虎も、この場所が好きでした。

最期の日は週に2日行っていた出社日で、にわかに忙しくなっていたので、帰りも遅く、19時過ぎての帰宅。
帰ると他の猫たちと一緒に出迎えてくれるのに、その姿がなく、部屋に入るといつも私が座っているクッションの上に寝ていたので、驚きとともに嫌な予感がよぎりました。
というのも、数日前からご飯を残すようになり、その日の朝は殆どご飯を食べていなかったので…後ろ髪引かれる思いで出勤していたので、慌ててご飯をあげたのだけど食べてくれず、好みの缶詰に切り替えてあげてもほんの少し口にする程度。
買ってきたドーナツも、いつもは甘いの大好きでがっついて食べるのに見向きもせず…
それでも私は、まだ早い、まだ早い、と必死に嫌な予感を打ち消して、予定していたオンライン飲み会の支度をしていたのだけど。
…母の膝の上で癲癇痙攣が始まり…
もう本当に長くはないんだ、と、部屋に連れていき、膝の上に載せて、看取る覚悟を決めました。

私は以前、動物看護士兼トリマーのお仕事をしていたので、少しばかり医療の知識があります。
嫌なもので、こんな時でも小鞠がどんな状態なのかと状況を観察していました。
少しづつ痙攣の頻度が多くなり、意識が飛んで瞳孔が小さくなり、呼吸が荒くなり、口呼吸が始まり…
最期は大きな癲癇発作でギュッと噛み締めた後、口から数回呼吸をして…
ゆっくり瞳孔が開いていく様を見届けました。

それまでは部屋全体の空気がギュっと密になり、息苦しかったのに。
小鞠の魂が抜けていくと同時に、部屋の密度も軽くなり…
まるで、時が止まったような静けさに包まれて。。。
全てが終わりました。

1週間前位に届いた小鞠のためにと買ったベッドで寝る姿。
使ってもらえて、良かった(*^-^*)
写真は亡くなる数日前のもの。

動物病院で仕事していた時…長年通っていた子を看取った時、飼い主さんが目を閉じさせてくださいと先生に懇願した時、院長先生がポツリと言った言葉…動物はね、目を閉じて逝くことはできないんです…その言葉が思い出されました。
眠るような顔で逝くことが出来るのは、人間だけなのだと…改めて思ったものです。

翌日、火葬に出す際は、部屋の前に咲く芍薬を1つ切ってもらい、小鞠の身体に添わせるように捧げました。
火葬の車が出るときになって、雲の切れ目から陽の光が差し込んで…
戻ってきたお骨は、先に虹の橋を渡っている同腹キョウダイの小虎の隣に安置しました。

後日、小虎と小鞠を譲ってくださった元親さんから、小虎とおそろいのフォトフレームが届き、遺影を入れました。
額に入れるだけで…本当に逝ってしまったのだという実感が溢れてきて…
今も安置する棚を見ては、本当にもういないんだなぁ…と、寂しさを感じています。

多頭飼いをしていると、時折不思議な光景を目にすることがあります。
小鞠が亡くなる数日前から、他の猫たちが小鞠に寄り添うように寝ていたり、身体を舐めていたりして、不思議な思いで見ていました。
というのも、小鞠は他の猫と時折一緒に寝ていることはありましたが、長い時間一緒にいることはないし、また小鞠が時折頭をペロペロっと舐めることはあっても、ちびっ子たちが小鞠をグルーミングすることはなかったので、前日、リモートワークをしている横でうちゃこ・もちゃこがふたりがかりで丹念に舐めている姿が不思議で動画まで撮っていました。
また、亡くなる日の朝は、いつもはお腹あたりで寝るのに、私の枕元に寄り添うように寝ていて、私もそのぬくもりが心地よく、出勤でなければもう少し寝ていたのに…と思ったものです。
猫たちは何かを察していて、ちゃんと自分たちなりのお別れをしていたのですね。。。

亡くなる前日の写真。
もちゃとうちゃが一生懸命グルーミングしているところ。

大切なものとのお別れは、どんなに後悔のないようにと尽くしても、後悔は溢れ出てくるものです。
出社せずに一日家に居ればよかった、
缶詰ご飯をそれほどのものじゃなく好んで食べるものにしておけばよかった、
…などなど、色々思いは過ります。

しかし、小虎もそうだったように、小鞠もこの日を自分で選んで旅立ったのだと、
私の何かを察してのことではなく、自分で選んで行ったのだと…
小鞠を信じ、小鞠の行動を認めてあげようと…
そう、私は決めました。

勿論、それほど簡単に割り切れるものではなく、寂しさと一緒に、後悔の念は、波のようによせては引いて…を繰り返しています。
きっと、時間の経過とともに、その波も小さく浅くなっていくのでしょう。

また、残る7匹の猫たちは変わることなく大騒ぎしているのも救いです。
この猫たちもいずれ看取ることになるのかと思うと吐きそうにはなりますが、それも覚悟して一緒にいることを決めているので、仕方ありません。

ただ、既に職は離れていますが、動物看護士として短期間でしたが働いた時間とあの時得た知識は、当時は色々ありましたが、今は感謝しかありません。

辛いことも、悲しいことも、嫌な出来事も全て。
自分の記憶とともに、かけがえのないものとなる。
小鞠との出来事も、こうしてかけがえのないものにしたい、と思うのでした。

こまちゃん、ずっと一緒にいてくれて、本当にありがとう。

Posted by 六花